林業のプロフェッショナルから、薪作りを楽しむDIY愛好家まで、世界中で絶大な信頼を集めているハスクバーナ(Husqvarna)のチェンソー。
その鮮やかなオレンジ色のボディは、森の中でひときわ存在感を放ちます。高い切断能力、優れた耐久性、そして人間工学に基づいた疲れにくい設計。どれをとっても一級品であることは間違いありません。
しかし、この高性能マシンの「エンジンの始動」に戸惑いを感じているユーザーが非常に多いのもまた事実です。
「国産のチェンソーなら簡単にかかるのに、ハスクバーナはなぜかかかりにくい」「説明書通りにやっているはずなのに、どうしても初爆が確認できない」「一度かからなくなると、もうお手上げ状態になってしまう」……。
何度もスターターロープを引き続け、腕がパンパンになり、汗だくになりながら途方に暮れた経験がある方も多いことでしょう。
実は、ハスクバーナのチェンソーは、決して「かかりにくい」わけではありません。
むしろ、極寒の北欧スウェーデンで鍛え上げられたその設計は、「正しい手順さえ踏めば、どんな過酷な環境でも確実にかかる」ように作られているのです。問題は、その手順が他社製とは少し異なり、かつ非常に厳格であるという点にあります。
この記事では、ハスクバーナチェンソーを確実に始動させるための全知識を余すことなく公開します。
単なる手順の羅列ではなく、「なぜその操作が必要なのか」というメカニズムまで掘り下げて解説することで、二度と始動トラブルに悩まない「真の使い手」になっていただくことが目的です。
- 冷機始動・暖機始動における正確無比な操作手順とその物理的理由
- 初心者最大の壁である「初爆」の聞き分け方と、チョーク操作の絶対的なタイミング
- エンジンがかからない、カブってしまった時のリカバリー方法とトラブルシューティング
- アイドリング調整やフィルタ清掃など、始動性を100%維持するためのメンテナンス術
本記事の内容
Husqvarnaチェーンソーの正しいかけ方と手順
ハスクバーナのチェンソーを始動する際、最も意識しなければならないのは、エンジン内部の温度状態です。エンジンが冷え切っている「冷機状態(コールドスタート)」なのか、直前まで作業をしていて温まっている「暖機状態(ホットスタート)」なのかによって、必要な操作は180度異なります。
この見極めを誤り、温まっているエンジンに対して冷機始動の手順(チョークを引くなど)を行ってしまうと、燃焼室がガソリンで満たされ、いわゆる「カブリ」を引き起こして始動不能になります。逆に、冷えているエンジンに暖機始動の手順を行っても、燃料が薄すぎて爆発しません。
ここでは、最もトラブルが多い「冷機始動」を中心に、一つひとつの動作の意味を噛み砕きながら解説していきます。

【安全最優先】始動前の絶対確認事項
エンジン始動という行為は、毎分10,000回転以上で回る鋭利な刃物を目覚めさせる行為です。以下の安全確認を怠ると、重大な事故につながる恐れがあります。
- チェンブレーキの作動(ON):
フロントハンドガードを前方に押し倒し、ブレーキをロックします。
ハスクバーナ機は始動直後にチェンが回転する仕様のため、必須です。 - 周囲の安全確保:
給油場所から3メートル以上離れ、引火のリスクを避けてください。
また、足場が安定した平らな場所を選びましょう。 - ソーチェンの張り確認:
チェンが緩んでいると、始動時の振動で外れる危険があります。 - 身体の防護:
防護ズボン(チャップス)、手袋、保護メガネなどの安全装備を着用してください。
始動を補助するデコンプバルブの効果と使い方
排気量が40ccを超えるような中型・大型のハスクバーナチェンソー(例:550XP, 560XP, 572XPなど)には、シリンダーの側面に青色や黒色の小さなボタンが装備されています。これがデコンプバルブ(デコンプレッションバルブ・減圧弁)です。
デコンプバルブの物理的メカニズム
2ストロークエンジンは、ピストンが上昇する際に混合気を圧縮し、爆発的なエネルギーを生み出します。排気量が大きくなればなるほど、この「圧縮圧力」は強大になり、スターターロープを引く手には強烈な反発力がかかります。これを無理に引こうとすると、ロープが切れたり、最悪の場合は手首や肩を痛めたりする原因になります。
デコンプバルブは、シリンダー内の圧縮ガスの一部を逃がすための小さな穴を開く装置です。これにより、始動時(クランキング時)の圧縮抵抗を大幅に低減し、軽い力でスムーズにロープを引けるようにします。
正しい操作手順
- 始動操作の一番最初に、このボタンを指で「カチッ」と音がするまで押し込みます。
- これでシリンダー内の圧力が抜けやすい状態になります。
- スターターを引いてエンジン内で最初の爆発(初爆)が起きると、その爆発圧力によってバルブが自動的に押し戻され(ポップアップし)、穴が塞がります。
- つまり、エンジンがかかった後は自動的に解除されるため、操作の必要はありません。

知っておきたいポイント
もし初爆があった後にエンジンが止まってしまい、再度スターターを引く必要がある場合は、もう一度デコンプバルブを押し直す必要があります。初爆の衝撃でバルブが戻ってしまっているからです。これを忘れると、「急にロープが重くなった!」と驚くことになります。
プライミングポンプの適正回数と押しすぎの誤解
エンジンの近くにある、透明な半球状のゴム部品。これがプライミングポンプ(またはパージポンプ)です。ハスクバーナだけでなく、多くの2ストローク農機具に採用されていますが、最も誤解されている部品の一つでもあります。
燃料循環の仕組みと「押しすぎ」の真実
多くのユーザーが「ポンプを押しすぎると、燃料がエンジンに入りすぎてカブってしまうのではないか?」という恐怖心を持っています。しかし、断言します。プライミングポンプをいくら押しても、カブることは物理的にあり得ません。
なぜなら、このポンプは「燃料タンク」→「キャブレター」→「ポンプ」→「燃料タンク」という循環経路を作っているだけだからです。
ポンプを押すことで行われているのは、キャブレター内部にある古い燃料や空気を吸い出し、タンクに戻すと同時に、新しい燃料をキャブレターまで呼び込んでいる作業です。
決して、エンジン内部(燃焼室)に直接燃料を噴射しているわけではないのです。

推奨される操作回数
説明書にはよく「6回程度」と書かれていますが、回数にこだわる必要はありません。以下の手順で行ってください。
- 透明なドームの中をよく見ながらポンプを押します。
- 最初は空気が入っていますが、数回押すと燃料が入ってくるのが見えます。
- 燃料がドーム内に充填されてから、さらにダメ押しで3回〜5回しっかりと押してください。
- 合計で10回押しても20回押しても全く問題ありません。
むしろ、押し足りなくてキャブレター内に空気が残っている(エア噛み状態)ほうが、始動時の燃料供給遅れ(リーン状態)を招き、始動困難の原因になります。
「親の仇のように押せ」とまでは言いませんが、遠慮は無用です。しっかりと新しい燃料をキャブレターに行き渡らせましょう。
初爆後にチョークを戻すタイミングの重要性
ここが今回の記事の最重要セクションです。ハスクバーナチェンソーの始動に失敗する人の9割は、この工程でミスを犯しています。「初爆(しょばく)」の確認と、その直後のチョーク操作。これが運命の分かれ道です。
なぜ冷機時にチョークが必要なのか
エンジンが冷えている時は、ガソリンが気化しにくく、シリンダー壁面に付着してしまいます。そのため、通常の空気量では燃焼に必要な混合気の濃さを確保できません。そこで「チョーク弁」を閉じて空気の通り道を塞ぎ、ピストンが下がる負圧を利用して強制的にガソリンを吸い出します。これにより、極端に濃い混合気を作り出して、無理やり最初の火をつけるのです。
ステップ1:チョーク始動(フルチョーク)
まず、チョークレバー(青や赤のレバー)をいっぱいに引くか、持ち上げてセットします。この状態で、右足でハンドルを踏み、左手でハンドルを握り(地面置き法)、右手でスターターロープを引きます。
最初は軽く引き出して遊びを取り、そこから一気に短く、強く引きます。通常、2回〜4回程度引くと、エンジンの反応があります。
ステップ2:「初爆」の音を聞き逃すな
スターターを引いていると、突然「ボッ」「ブルルン」「ボボッ」という、短い爆発音が聞こえます。これが初爆です。エンジンが一瞬だけかかりかけて、すぐに止まるような挙動です。
この音は非常に短く、周囲が騒がしいと聞き逃してしまうことがあります。しかし、ハスクバーナユーザーにとって、この音は「燃料はもう十分に来た!これ以上濃くするな!」というエンジンからの叫び声なのです。
ステップ3:運命のチョーク解除
初爆が聞こえたら、絶対にそれ以上チョークを引いたままスターターを引いてはいけません。
ここで「あ、かかりそうだ!もう少しだ!」と思って、そのまま引き続けるとどうなるか。
チョーク弁が閉じたままなので、酸素不足の燃焼室に液体ガソリンだけがドボドボと送り込まれます。
結果、点火プラグが濡れて火花が飛ばなくなり、完全な「カブリ(オーバーリッチ)」状態になります。
こうなると、プラグを外して乾かさない限り、絶対にエンジンはかかりません。
初爆を確認したら、直ちにチョークレバーを元の位置(またはハーフチョーク位置)に戻してください。

正しい手順のまとめ
- フルチョークにする。
- スターターを引く。
- 「ボッ」と鳴ったら(初爆)、引くのをやめる。
- チョークを戻す(重要)。
- その状態(ハーフスロットルになっている)で再度スターターを引く。
- エンジン始動!
135 Mark IIや550XPなどモデル別のかけ方
ハスクバーナには多様なモデルが存在し、プロ用と一般用で操作系のインターフェースが異なります。代表的な2つのパターンを紹介します。
AutoTune搭載プロフェッショナルモデル(550XP, 560XP, 572XPなど)
最新のプロ機には、キャブレターを電子制御する「AutoTune(オートチューン)」が搭載されています。これらは始動操作も最適化されています。
- コンビネーションスイッチ:
チョークレバー、始動スロットルロック、停止スイッチが一体化しているモデルが多いです。 - 操作の流れ:
チョークレバーを上に持ち上げてセット(フルチョーク)→ 初爆あり → レバーを一段下げる(始動位置・ハーフスロットル)→ 始動 → スロットルを握るとレバーが自動で定位置(運転位置)に戻る。 - オートリターン・ストップスイッチ:
エンジンを止める時にスイッチを押し下げますが、指を離すと自動的に「ON」の位置に戻ります。
これにより、「スイッチを入れ忘れてスターターを引き続け、カブらせる」というミスが構造的に起きないようになっています。
エントリー・オールラウンドモデル(135 Mark II, 440e II, 445e IIなど)
ホームセンターや農機具店で人気のモデルは、従来のアナログな機構を採用しています。
- 独立したスイッチ:
モデルによっては、ON/OFFスイッチが独立している場合があります。
始動前に必ず「ON」になっているか確認してください。 - プライミングポンプの活用:
プロ機の一部にはポンプがないものもありますが、このクラスにはほぼ装備されています。
前述の通り、しっかり活用してください。 - Tスクリューによる調整:
ユーザー自身でアイドリング回転数を調整できるのが特徴です(後述)。
暖機運転後の再始動手順とハーフスロットル
燃料補給や休憩の後など、エンジンがまだ温かい状態での再始動(ホットスタート)についても触れておきます。
なぜ「普通に引く」だけではかからないことがあるのか
温まっているからといって、スイッチをONにしてスターターを引くだけでは、案外かかりにくいことがあります。これは、アイドリング状態のスロットル開度では、始動に必要な空気量がわずかに不足しているためです。

「ハーフスロットル」を作る儀式
そこで必要なのが、スロットルを少しだけ開けた状態、すなわち「ハーフスロットル(ファストアイドル)」を作ることです。
- 一度、チョークレバーを引いて(フルチョーク位置にして)、セットします。
- すぐに、チョークレバーを元の位置(OFF)に戻します。
- ハスクバーナの機構上、この「行って、帰って」の操作を行うと、チョーク弁は開きますが、スロットルバルブだけが「始動用の中間開度」でロックされる仕組みになっています。
- この状態でスターターを引けば、適切な空気と燃料が供給され、1発か2発で元気に始動します。
始動後はエンジンが高回転で回ろうとするので、すぐにスロットルトリガーを一度握って離してください。これでロックが解除され、静かなアイドリングに戻ります。
Husqvarnaチェーンソーのかけ方とかからない原因
どれだけ正しい手順を踏んでいても、機械的な不調や環境要因でエンジンがかからないことはあります。ここからは、トラブルシューティングの視点で「かからない原因」を深掘りします。

エンジンがかからない時に確認すべき主な原因
エンジンが動くための3大要素は「良い圧縮」「良い火花」「良い混合気」です。かからない時は、このどれが欠けているかを消去法で探ります。
| 症状 | 疑われる原因 | チェックポイント |
|---|---|---|
| プラグが濡れていてガス臭い | 燃料過多(カブリ) | チョークの戻し忘れ、 初爆聞き逃し。 |
| プラグがカラカラに乾いている | 燃料供給不足 | 燃料切れ、 フィルタ詰まり、 ホース亀裂。 |
| スターターが異常に軽い | 圧縮抜け | ピストン焼き付き、 リング摩耗。(重故障) |
| プラグは適度に湿っているが かからない | 点火不良 | プラグ不良、 コイル故障、 スイッチ配線不良。 |
プラグのカブリ直し方と燃料排出のテクニック
最も多いトラブルである「カブリ」。これを現場で素早く解消するテクニックを紹介します。これを知っているだけで、山の中で立ち往生するリスクが激減します。
テクニック1:掃気始動法(なんちゃって始動)
軽度のカブリなら、工具を使わずに復旧できます。
- チョークは絶対に引かない(OFF)。
- デコンプがあれば押す。
- チェンブレーキをかける。
- 左手でフロントハンドルを握りつつ、手のひらや指でスロットルトリガーを全開(フルスロットル)の状態に固定して握り込みます。
- その状態で、右手でスターターを全力で、何度も(5回〜10回)引きます。
原理: スロットルを全開にすることで、キャブレターから大量の空気をエンジン内に送り込みます。これにより、内部に溜まった濃すぎるガスを薄め(掃気し)、無理やり爆発範囲内の空燃比に持っていきます。かかった瞬間は煙を吐きますが、そのまま数秒ふかせば直ります。
テクニック2:物理的な燃料排出
上記でダメなら重症です。プラグレンチを使います。
- スパークプラグを外します。
電極がベチョベチョに濡れているはずです。 - プラグをウエスで拭き、乾かします(ライターで炙るのは危険なので推奨しません)。
- プラグを外した状態で、チェンソー本体を逆さまにして、スターターを数回引きます。
プラグ穴から霧状の生ガスがプシュプシュと排出されます。 - プラグを元通りに取り付け、チョーク無しで始動操作を行います。

始動直後に止まる場合のアイドリング調整方法
「エンジンはかかるけれど、指を離してアイドリングになるとプスンと止まる」「逆に、アイドリング中なのに刃が回り続けて怖い」。これらはキャブレターのアイドリング調整が狂っています。
多くのハスクバーナ機(AutoTune機を除く)には、本体側面に「T」のマークがついた調整穴があります。
Tスクリュー(アイドル調整ネジ)の調整手順
- エアクリーナーが汚れていないか確認します(汚れていると空気が吸えず回転が落ちます)。
- エンジンをかけ、少し暖機します。
- 付属のマイナスドライバーを「T」の穴に差し込みます。
- 回転を上げたい時(止まる時): 時計回り(右)に回します。
- 回転を下げたい時(刃が回る時): 反時計回り(左)に回します。
ベストな位置の探し方:
まず右に回して回転を上げ、ソーチェンが回り出すところまで上げます。そこから、左にゆっくり戻していき、チェンが完全にピタッと止まった位置から、さらに1/4回転ほど左に戻したあたりが理想的です。チェンが止まっていることは安全上の絶対条件です。

【警告】LネジとHネジについて
Tネジの近くに「L」「H」というネジがあるモデルもありますが、これは燃料の濃さを決める非常にデリケートなネジです。ここを適当に回すと、エンジンが焼き付いて全損する可能性があります。知識がない場合は絶対に触れず、調整が必要ならプロショップに依頼してください。
点火プラグの火花と燃料フィルターの点検
最後に、日々のメンテナンスで防げるトラブルについてです。
スパークプラグの点検
プラグは消耗品です。電極の角が丸くなっていたり、カーボン(煤)がびっしり付着していたりすると、強い火花が飛びません。ハスクバーナはNGK製の「BPMR7A」などが指定されることが多いですが、必ず取扱説明書で型番を確認してください。1年に1回、あるいは始動が悪くなったら数百円の部品なので新品に交換することをお勧めします。
燃料フィルター(ピックアップボディ)
燃料タンクの中で、ホースの先端についている重りのような部品がフィルターです。ここにおが屑などのゴミが詰まると、燃料が吸い上げられず、高回転で息継ぎしたり、始動できなくなったりします。針金で作ったフックで給油口から釣り上げ、汚れがひどければ交換しましょう。

燃料ホースの劣化
古いチェンソーでよくあるのが、燃料ホースの経年劣化による亀裂です。ここから空気を吸ってしまうと、いくら調整しても調子は戻りません。ゴムが硬化していたり、ひび割れていたりする場合は交換が必要です。
Husqvarnaチェーンソーのかけ方と管理のまとめ
長くなりましたが、ハスクバーナチェンソーの始動について、プロトコルのすべてをお伝えしました。
「ハスクバーナは気難しい」と言われることがありますが、それは裏を返せば「操作に対して正直である」ということです。適当な操作には不調で応え、正しい操作には最高のパフォーマンスで応えてくれます。この対話のような関係性こそが、多くのプロフェッショナルを魅了してやまない理由なのかもしれません。
まとめ:
- 始動前に必ずチェンブレーキをかける。
- 冷機時はフルチョークで初爆を待ち、鳴ったらすぐにチョークを戻す。
- 暖機時はハーフスロットルを活用する。
- かぶったら慌てずに掃気始動法を試す。
- プライミングポンプは遠慮なく押す。
この手順を身体に染み込ませれば、あなたの相棒であるハスクバーナは、どんな寒い朝でも、力強い咆哮を上げて目覚めてくれるはずです。ぜひ、今度の週末に実践してみてください。
また、より詳細な公式情報や、モデルごとの正確なスペックについては、メーカーの情報を参照することをお勧めします。
(出典:ハスクバーナ公式サイト『チェンソーの始動方法』)